どうも、非効率系ミニマリストのカタカナです。
いかがお過ごしでしょうか。
月曜はミニマリズムの話。
いつまでミニマリストを名乗るのか・・・・・?
ミニマリストやめよっかな
最近、ミニマリストやめよっかなと思うときがあります。
正確に言いますと、ミニマリストを名乗ることをやめようかな、と。
理由は単純に飽きたから。
複雑なことじゃないんです。
ミニマリスト以外の自分を見たい
すでに、ミニマリストを世に広めた佐々木典士さんが
「ミニマリストからタイムキーパーになります」と宣言されていて、生活の習慣化の方に舵をきられていました。
いまもそのままミニマリズム活動は続けていらっしゃいます。
上記を初めて知ったときは、ミニマリストの立役者が名乗らなくなるなんて・・・と少々さびしい気がしました。
でもいまは何となく理解できる気がするんですよね。
うまくまとまらないのですが、ミニマリスト以外の自分に会いたいと言うか。
ミニマリズムは自分の生活の基盤ですし、すっかり血肉にもなっています。
だからもうミニマリストって名乗らなくてもいいのかな、と思うようになりました。
私、人間です!って言うのと同じ感触があるんですよ。
悟りとミニマリズム
過去の私は「私の自己肯定感、低すぎ・・・?」というくらい自分に自信が無くて。
これが自分です、と打ち出せるものがありませんでした。
でもミニマリズムに出会ってミニマリストになって、ずっと欲しかった「自分と言う輪郭」ができたんですよ。
平たく言えば自信。
自分が生きていくための指針にもなったし、人と比べられても大丈夫な分野を得ることができました。
本当に感謝してしています。
だからって、ずっとここにいていいのかとも思うんですよね。
ミニマリストという地盤を持って次の段階に進みたいといいますかね。
飽きたというと少々語弊がありますが、自分の中に飽和感がある。
名乗らなくなったからって、明日から部屋のものがわーーーっと増えるわけではありません。
すべて今まで通り。
めっちゃめちゃ大風呂敷広げると、仏教に悟りってありますでしょ。
あれ、自分悟ったわーと思ってるうちはまだまだで、悟ったことさえ忘れるくらい悟った真理と一体化することが究極らしいんですわ。
自分=宇宙の真理。
だからもう探し求めることをしなくなる、と。
すんごい大雑把な理解なんで、間違ってたらすみません。
これが私とミニマリズムで起こったのかなと思ったりするわけです。
うわあ、こんなこと言ってると「てめえミニマリズムなめんな」って怒られそう、知らない誰かに。
まだしばらくミニマリストを名乗ります
だからって今すぐミニマリストの看板下ろします、という話じゃないです。
ミニマリストってキャラがあった方が初対面の方でも分かりやすいですから。
でもね、逆にミニマリストと言う看板が人を遠ざけてるかもと思うことがあるんですよ。
ミニマリストっていうと、ものすごくきっちりしていると思われてしまうんです。
完璧な人、隙のない人、みたいなね。
しばらく見ていていただいたら分かるのですが、カタカナは完璧とは正反対のパラレルワールドで生きてる人間ですよ。
完璧な人間が「新・平成の火野正平は手越裕也」やら「しいたけ侍エビカツと天使のエビフライってどこで区切るのこれ」とか考えないもん。
むしろ適当だからミニマリストやってるという。
しかし、このくだりは分かりにくい!
説明しづらい!
自分から声かけられないくせに、さらに自ら人を遠ざけてどうするの。
ここまで何やら偉そうに書いてきておりますが、まだぜんぜん自分の次のステージを決めてないんですよー。
もし次が、鷹狩りとか毎日山に登ってナメクジ探すとかになったとしても、できれば温かい目で見ていただければ嬉しいです。
でも本当にナメクジ探し出したらとめてください。
超飽き性なんで、いずれ「ミニマリストやめるってことに飽きた」って言い出す可能性あるな。
本日もここまでお読みいただいてありがとうございました。
ではまた明日。