どうも、カタカナことカタオカカナです。
いかがお過ごしでしょうか。
月曜日はミニマリズムの話。
菜箸から気づいた自分の思い込みについて。
菜箸っていらないのかもツイート
「あ、もしかして菜箸っていらないのかも」
ある晩、ふと思ったのでした。
そのままツイートしたら、すぐにフォロワーさんからお返事がきました。
そのまま食べられていいかもしれないですね!
そうそう、ずぼらな私にはぴったりかもと思うんですよね。
さらにもうお一人からもお返事が。
普通の箸を菜箸にするとすぐに痛むからおすすめしません・・・
おお、そうなのか。知らんかった。
夫は自分の箸で料理しているのですが、確かに箸の先が痛んで広がっている・・・
菜箸を使っている理由を考えてみる
そもそも私が菜箸を使っている理由ってなんだろうと。
子どもの頃から、祖母も母も菜箸を使って料理をしていました。
さらに家政科高校の調理実習でも菜箸使ってたし、座学でもそう習ったし。
だから完全に「料理には菜箸が絶対必要」って頭から思い込んでたんですよ。
疑ったこともありませんでした。
菜箸を使わない夫を見る度に、使ったほうが料理しやすいよとアドバイスをしてたくらい。
夫は家事を授業で習った事もないし、家庭科検定を受検したこともありません(ちなみに5級は30秒できゅうりの輪切り50枚切る地味にめんどい試験だった)
知識がないから菜箸使わないんだ、仕方ないよねと思ってました。なにその上から目線。
しかし、数年間にわたり、夫が普通の箸で料理をする姿を見ているうちに、あの人短い箸でも料理できてるぞ、もしかして菜箸っていらないのかなと思い至ることとなりました。
ハッとしましたね。
人や学校で習ったからという理由だけで「普通、菜箸を使うだろ!菜箸は必要だ!」と思い込んでただけじゃないのと。
これが普通だ!なんて、ミニマリストにいちばんいらん概念だというのに。
持ち物においては、けっこう「私は普通の感覚から開放されてる」と思ってたんですよ。
全然そんなことなかった。
とても小さなことですけど、自分の中にはまだまだ勝手な思い込みがたくさんあると気づかせてもらいました。
最後に
これから菜箸をどうするかはまだ決めていません。
でも菜箸に対して自分の思い込みがあるってことに気づけていたおかげで、冒頭のお二人の話両方ともフラットに聞けてるなあと。
どっちの意見もうなずけるし、ありがたい。
知識は私たちに権利と力と自由を与えてくれるけど、同時にかたくなな思い込みで自分の考えを縛ってしまう可能性があるのかもしれません。
最終的に菜箸に限らず、どんなモノだって持っていようが持ってなかろうがどっちだっていいんですよ。
普通なんてないんだから。自分の気に入ったようにやればいい。
当たり前にありすぎて特に気にかけないモノでも、時に大きなことを教えてくれるんですね。
いやー、慢心してたわ。
これからも気をつけよっと。
今日もここまでおよみいただいてありがとうございました。
それではまた明日。