「(石焼)ビビンパ」にまつわるエトセトラ -食べて書いてまた食べる話70ー

わたしの好きな空き地 火曜日:食べ物の話

どうも、片岡カタカナです。

いかがお過ごしでしょうか。

カタカナ
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水曜日は50音で綴る食べ物の話。

今回は「び」。

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「び」といえば、ビビンパ(石焼)

はじめて石焼きビビンパを食べた時は衝撃だった。

ご飯の上に色とりどりの具材が華やかにのせられて、まるでちらし寿司のようであるのに、それが熱々の石の器に入ってやってきたのである。

しかも、ちらし寿司に似たそれをよく混ぜて食べろという。

混ぜるたびに聞こえるジューという音が否応なしに気持ちを高まらせてくるし、指先に感じる石の器の熱さもまた特別感を与えてくる。

混ぜ終えたご飯を長ーーーいスプーンで口に運んだ時の驚きと言ったら!

 

熱い!

しっとりしてる!

パリパリしてる!

シャキシャキしてる!

ちょっと辛い!

でも甘い!

おいしい!!!!!

 

多彩な食感と味が一度にやってきて、目が回る思いがしたことをよく覚えている。

その日から、私はすっかり石焼きビビンパが好きになったのだった。

日本生まれ(らしい)石焼ビビンパ

きっと、韓国にはさぞおいしい石焼ビビンパがあるのだろうと思っていた。

屋台でジュージュー言わせちゃっているのかしらと。

調べてみると、韓国のビビンパは器にご飯と具を乗せて混ぜて食べる食事であり、熱々に焼いて食べる石焼きビビンパの発祥は日本であるという。

元祖がどこなのか判然とせず、どこまで真実なのかわからないが、回り回って韓国でも石焼で提供する店があるとかなんとか。

 

石焼ビビンパに馴染みすぎた私は、本来のビビンパを見たときに物足りなさを感じてしまうのだが、逆に韓国の人は石焼ビビンパをどう思っているのだろう。

邪道だと思っているのだろうか。

それとも面白いなと思っているのだろうか。

石焼ビビンパはとんかつか、カルフォルニアロールか

そういえば、その昔、とんかつがどこかの国で人気になり、ラーメンにトッピングすることが流行しているとテレビで見たことがある(なるほど・ザ・ワールドだったか、古い)

その国に住む日本人ラーメン屋店主は「麺に乗せるのは違和感があるから、とんかつは別皿で出している」と言っていた。

注文者が麺の上に置く瞬間は見ないようにしていると話していたから、本当に嫌だったのだろう。

もしかしたら、石焼ビビンパは韓国の人にとって同じような存在なのかもしれない。

 

逆に、カルフォルニアロールのように発祥国にも受け入れられた可能性もある。

この海外発祥のお寿司だって、はじめはみんな気持ちが悪いだの信じられないだの冒涜だのだから海外はだの色々言っていたが、今や当然のようになっている。

日本人だって、海外に行ったらカルフォニアロールを食べることを楽しみにしている人がいるだろうし、日本のお店で食べている人もいるだろう。私も食べる。

寿司の中でカルフォニアロールがいちばん好きな日本人がいたっておかしくない。

 

できれば石焼ビビンパも後者のようであってほしい。

祖国で疎まれているとしたらやりきれない気持ちになってしまう。

普段のビビンパもいいけど、たまに食べる石焼きビビンパも最高だ!と思っている韓国の人がいてくれたらとても嬉しい。

最後に

そんなことを考えているカタカナだが、実は数年石焼きビビンパを食べていない。
好きなのに。

 

私はご飯がパリパリになったおこげ部分が大好きで、毎回いかにいいおこげを作るかに腐心してしまう。

素早く全体を混ぜ、ご飯を石の器全体に張り付かせるようにしてしばし待つ。

万事を尽くして天命を待つのだ。

 

好きだからこそ、常にベストな状態で食べたい。最高のあいつに会いたい。
天命がやってこずに少しでも焼きが足りないおこげになると、がっかりを通り越してすっかり不機嫌になってしまうのである。

好きがこじれるとはまさにこのことだろう。

 

ベストなおこげができるのは10回に1回程度であるから、ほぼほぼ不機嫌になる。

好物を食べているのにイライラするという謎状態であるし、急な不機嫌に付き合わされる周囲は相当に迷惑である。

 

しかしながら私も大人である。きちんと反省と改善策を考えた。
結果、イライラするくらいなら食べないでおくことを選択したのである。

食べなければ不機嫌になることもない、ビビンパ側も無用に傷付かずに済む。
距離を取ることでお互いの幸せを保っているのだ。

あたかも、恋人の貞操を重じて最後まで抱かずに戦地に赴く男のようはないか。

 

自分の国の食べ物が異国で変化した上に、それに対して出征兵のような気持ちをいだいている人間がいるだなんて、韓国の人も驚くことだろう。

当然ながら、まったく知らなくていいことである。

カタカナ
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本日もここまでお読みいただいてありがとうございました。

それではまた明日。