どうも、非効率系ミニマリストのカタカナです。
いかがお過ごしでしょうか。
火曜日は食べ物の話。
子どもの頃、大好きだった食べもの。
今週のお題は「け」
50音でつづる食べ物の話、今週は「け」です。
けといえば「ケーキ」。
逆にケーキ以外あるのかと問いたい(何様)
ケーキは大人から与えられるもの
薄ぼんやりとですけど、ケーキって人の成長と共に変化していく食べ物なんじゃないかなーと思っています。
何でもそうですけど、まずは親御さんから与えられた食べ物を食べるわけですよ。
子どもには決定権がなくて、自分が食べたいものが与えられるとは限りません。
ケーキもそう。大体の子どもはケーキが大好きなもんです。
「将来の夢はケーキ屋さん」は今も昔も子どもの夢の定番ですし。
それなのに、子どもはサーティーワンのアイスケーキが食べたくても、親がヤマザキを選んだらヤマザキのケーキを食べなくちゃあならんのです。ああ無常。
ヤマザキのケーキ
本当に小さい頃はケーキ=ヤマザキだったんで、疑問を抱いた事はなかったんですよ。
私の年少期は世間全般景気がよかったですから、クリスマスだけじゃなくてひな祭りにこどもの日もホールケーキが食卓に登場していました。
もちろんヤマザキのケーキなんですけど。
ホールケーキの醸しだす非日常感もあいまって、
夢のように甘くって嬉しくって嬉しくって仕方ありませんでした。
しかし。
成長するに従って、世界が広がっていく訳です。
今まで知らなかった知識が舞い込んできます。
サーティーワンには全部アイスで出来たケーキがあるらしい、とか
ミキちゃんの誕生日会で出てきたケーキはどこどこのケーキらしい、とか
連れて行かれたデパートで見た宝石みたいなケーキ、とか。
世の中にはヤマザキ以外にもケーキがあると、徐々に知っていくんですよね。
そうなるとやはりヤマザキ以外のケーキを食べたいと思うもの。
もしかしてヤマザキってダサいんじゃあ・・・?
なんて懸念も浮かんだりして。
だからってそうそう買ってもらえるものでもなく、やっぱり親が選んだヤマザキのケーキを食べる悶々とした日々を送っていました。
「悶々とした日々」と書くと青春感が溢れてきますが、あくまでケーキの話です。
ケーキを選べる日々
それから月日が経って、18歳で一人暮らし。
1から10まで自分の好きなものを選んでいい暮らしの始まりです。
着るものも、お風呂に入る時間も、もちろんケーキも。
全部自分に決定権がある。
張り切りました。
アンリシャンパンティエのおしゃれなケーキ。
グランマシーニューヨークのどっしりしたチーズケーキ。
友達と行くホテルのケーキバイキング。
新しいケーキを食べる度に、
自分の世界も開けていくような晴れがましい気持ちがしたものです。
田舎から抜け出して都会に染まる幻想にも浸ることができて。
ヤマザキのケーキからの開放は、親からの開放でもあったんですね。
現在のケーキ事情
それからさらに20年が経ち、現在。
あんなに好きだったケーキも、今はほぼ食べることがなくなりました。
たまにファウンドリーの果物がたっぷり乗ったケーキを食べるくらい。
ここのケーキは一切れ600円以上。
子どものころからしたら想像もつかないようなケーキです。
(今の私でも高級だと思う、定食食べられるし)
悲しいかな、いまはこれじゃないと食べられないんですよね・・・
生クリームやバターたっぷりだとしんどくて。
ヤマザキのケーキからは開放されたけど、それと引き換えに思い切り甘さを楽しむ素直さと体力を失ったのかもしれません。
まとめ
こどもの成長につれ、世界は広がっていく。
同じようにケーキの世界も広がっていく。
自分で人生を選択できるようになったころ、
好きなケーキを選べるようになる。
人生のステージによって、ここまで付き合い方が変わる食べ物も珍しいように思います。
それにしても30年前と変わらずに存在しているヤマザキのすごさですよ。
いまも多くの子どもがヤマザキのケーキをおいしいおいしいって食べているんだろうなあ。
そしていつか卒業していく。
卒業した人も、子どもが産まれるとまたヤマザキのケーキに戻るのかなあ。
カップヌードルやチキンラーメンのように、
ヤマザキのケーキの味が日本人のDNAに刻み込まれている気もする。
最後の最後に戻る味ってやつでしょうか。
親元と同様、いずれ離れていかなくてはならないけれど、たまに無性に恋しくなったり、いつも同じように存在していることに安心するといいますか。
ここまで書いていたら、久しぶりにヤマザキのケーキを食べてみたくなってきました。
でも1000000%食べきれないので見送ります。
老い。
今日もここまでお読みいただいてありがとうございました。
それではまた明日。