どうも、片岡カタカナです。
いかがお過ごしでしょうか。
水曜日は芸能世界の考察。
もう一度ドラマのWithコロナを考える。
「一課長は指輪を外さずに手を洗っている」
先週、Withコロナ時代のドラマとして「警視庁・捜査一課長」を紹介しました。
本記事をUPした後、ゆるゆると一課長情報を見てたのですけども、そこで気になる情報を見つけました。
ある視聴者から意見がきたと。
「一課長が手を洗うシーンがあるが、指輪を外さずに洗っているので外すようにして欲しい」って。
制作側の返答は下記の通りでした。
「1回目の帰宅シーンはすぐ警視庁に戻るため指輪を外さない、2回目は事件解決後なので指輪を外して対応しています(意訳)」
・・・・まじか。
このやりとりを読まれてどう思われたでしょうか。
私は、うわ!!怖っ!!!!でした。
創作世界に浸食する現実世界
何で怖いと思ったのかなーと考えてみると、大きく二つあるなと。
ひとつ目は、製作側どこまで対応すんねん。
二つ目は、視聴者どこまで気にしとんねん。
この二つの気持ちの根源には「これ、創作世界やで」という気持ちがあるんですよ。
もちろん視聴者の方の意見は全くもって正論です。
手洗い時には指輪を外さないといけません。
それにテレビドラマの影響力は大きいですし、間違った情報を印象づけてはいけないことも理解しています。
指摘に対して真摯に対応する製作側の態度も素晴らしいと言えるでしょう。
でもさあ。
ドラマがここまでコロナに対応していく必要ってあるんですかね?
だって、創作世界なんですよ。
現実世界の都合がどんどん創作世界を侵食していってる感じが怖いというか。
そもそもよ?
刑事ドラマ内で帰宅した後に手を洗うシーンがあること自体すごいと思いません?
今やドラマのストーリー云々より、コロナ対策をいかにしているかに気を使っているように見えるし。
ストーリーには1ミリも関係ないけど社会情勢見てわざわざ入れ込んでるところに、さらに「指輪を外してください」って言うの、なかなかだと思うんですよ。
指輪外して手を洗ってくださいと意見した視聴者は間違っていない、間違っていないけど間違ってる気がするんだよなあ。
「このドラマの世界にはコロナは存在しない」でもいい
スターウォーズを作る際、スタッフに「宇宙で音はしません」と言われたジョージ・ルーカスが「俺の宇宙では出るんだよ」と答えたという有名な話があるじゃないですか。
もしルーカスが、そうだね!音なんてしないよね!と言っていたら、スターウォーズは成功せずに終わったに決まっています。
正論より創作を優先したから、スターウォーズは面白い話になったわけで。
時に、ドラマとして正論を無視することが正解だったりする。
スターウォーズと同じように、「このドラマにはコロナはないんだよ」もOKだと思うんですよ。
創作世界なんだから全て現実に沿う必要はないのではないでしょうか。
実際、先日放送された2時間サスペンスの十津川警部シリーズは、完璧にコロナを無視してました。
ソーシャルディスタンスも全くとってませんでした。
現実世界なら許されません。
でも十津川警部の世界にはコロナがない、それで何も問題ない。OK。
逆にそれができるのが創作世界っつーもんじゃないのかな。
現実世界の全てを詰め込んだら、それは現実世界でしかないもん。
あえて情報を省くことができるのが創作ってもんじゃないのかなあ。
まあ、一課長側にもちょっと原因がありますけどね。
ドラマ内でわっかりやすいコロナ対策をしていたら、あ、あれが漏れてる!これができてない!と指摘される可能性高いもん。
最後に
一連の流れをみていると、創作世界と現実世界の線引きがゆるくなってる人が増えてきているのかなと感じます。
SNSの普及で、面識のない人やメディアに対して意見を言うハードルが低くなっていることもあるのでしょうけど。
「アンパンマンを見てから子どもがアンパンチを真似して人を殴ります、だからアンパンチはやめてください」って言ってる人がいたら、ちょっとこの人やばいなと思うじゃないですか。
でも、似たようなことが一課長に起こりつつある気がするんですよね。
一課長のコロナ対策は間違っています、ちゃんとしてくださいと言っていた人たちが、「この殺され方の場合、あんなご遺体の状態にはなりません。ちゃんとしてください」って言い出したりしないのかな。
恐ろしいのは、一課長はそんな意見にも真摯に対応しそうなとこなんだよな。
今日もここまでお読みいただいてありがとうございました。
それではまた明日。