どうも、非効率系ミニマリストのカタカナです。
いかがおすごしでしょうか。
月曜はミニマリズムの話。
どこに行ったって主張してくる食欲ってやつ・・・
食欲メインの京都観光
先日、京都に行ってきました。
やはり今日といえば神社仏閣・祗園を巡りを想像される方が多いかなと思います。
しかしながら、私たちの目的は食べること!
食べるついでに観光してる感覚ですね。
今回もめちゃおいしいドーナツのお店「ひつじ」であげたてドーナツを食べる!ことが目標でした。
ちなみにですが、下記、夫婦ふたり京都で食べたもの。
- ひつじのあげたてドーナツ5つ。
- UCHU WAGASHIで落雁の試食をもらう。
- 古都香のみたらし団子1本。
- おむらはうすのオムライス各自1皿。
これだけだとそんなに多くないかもって思われるかもしれませんが、この量を11時~16時の5時間でたいらげております。
さらにお土産として、しずやのカルネ(京都人大好きハムをはさんだ丸いフランスパン)2個とめちゃ甘いレッドキウィフルーツを購入。
そして家帰ってから月見うどん食べました。
太ったミニマリストはいない説を覆すカタカナ
私、ミニマリストをやっていますから必要の無いものは持っていません。
ものを無くすと同時に、自分にとっていらない習慣、思い込みや考え方も一緒に捨ててきました。
女性はロングヘアの方がいいとか衣替えとか。
色々捨てて捨てて、残ったものが自分を構成する核なんだと思ってます。
削除しまくって残った核、それが食欲でした。
・・・・・・・・
あ”----------!!!!
捨てろや!と思うんですよ、やっぱり。
太ったミニマリストはいない、とミニマリズム界隈では言われてるんですよ。
自分に必要な食事量を見極めて必要以上に食べない人が多いから。
そんな界隈の末席にいるくせに食欲が異常に残ってます、とかなんか恥ずかしいし。
とかいいつつ、パソコン打ち込みながら雪の宿食べとるけどな。
待てない女、カタカナ
だから本能に抵抗して食欲に抗っていたんですが、今では「そこまでして残ったんだからもう受け入れるべきやろな」と思っています。
なんつーか、もう受け入れざるを得ないといいますか。
冒頭に出てきたひつじのドーナツ、本当においしいんですよ。
お母さんの手作りドーナツの最上級版って感じ。
人気がありすぎてなかなか商品並んでないんですけど、めぐり合えたときはあげたてです!
きっとね、正しいブログ書きならドーナツの写真を撮るでしょう。
半分に割った写真なんかもきちんと撮って。
食べてるところも自撮りしたりなんかして。
そんなこと私にはできない。
だって、いまそこで1分前に上がったドーナツが手の中にあるんだよ?
ほかほかの湯気を立てて、持っている指にも熱さが伝わってくるんだよ?
包装紙の中から香ばしい小麦の香りが漂ってくるんだよ?
食べるしかなくない?
一分一秒でも早く味わうしかなくない?
カメラのピント合わせてる間にドーナツがどんどん冷めちゃう、そんなの耐えられない!!
最高においしい状態を今すぐ味わいたい!!
ひつじのドーナツを口に含めば、はふはふとした温かさとともに和三盆のやさしい甘さが広がります。生地はふわふわだけど外側はほんのりカリッとしてて香ばしいの。
アメリカっぽいべたべたした甘さは全くないから、いくつでも食べられちゃう。
逆に、どうしてこれを我慢できるのか聞きたいわ。
おいしい食べ物、好きな食べ物になるほどこの気持ちが強くなってしまいます。
だから好きになればなるほど写真が取れない。
みなさんにおいしいよ!って言いたいお店になるほど写真が取れないんですわ。
だからひつじのドーナツの写真はございません!!
食欲を認めて共存する
わんこですら待てって言われたらご飯待つのに、カタカナは待てない。
即食べる。
会社で配られるお土産も即食べるもん。
これはもうどうしようもない。
だから自分は食べることが好きって認めることにしました。
食べることが好きなんてミニマリストらしくない・・・という思い込みを捨てることにしたのです!
はい、うまいこと言って食べてもいい理由を作りました!
食べるためならどんな理由でも瞬間にクリエイトできるのです。
阿川佐和子のエッセイ本のタイトル「残るは食欲」
本当に名タイトルだなと思うのです。
見たとき「これ、私のことやん!!」って思いましたもん。
もちろん内容もずっと食べることです。
楽しく食べて楽しく歳をとっていく姿は、今の私のお手本になっています。
だってさあ、食欲なんて恥ずかしいなんて罪悪感持ちながら食べるより、食べるのさいこー!!って思いながら食べる方が絶対に体にいいもん。
あ、夜中に食べるカップラーメン、あの罪悪感は最高の調味料ですね。
本日もここまでお読みいただいてありがとうございました。
ではまた明日。