どうも、片岡カタカナです。
いかがお過ごしでしょうか。
月曜日はミニマリズムの話。
母からの仕送りのせいで、少々ノイローゼ気味です・・・
気分が落ち込む原因
今日はかなり遅い更新になってしまいました。
なぜかと言うと、大変に気持ちが落ち込んでしまったからです。
いつも読んで下さっている読者の方からすると、またかと思われることでございましょう。
またかはその通りなんですけど、原因がいつもとちょっと違ってます。
いつもは自分不甲斐なさやこれからを考えてドーンと落ち込むのですけど、今回の原因は母の仕送りです。
また来た母からのいらん仕送り
過去数回に渡って、母からいらないモノが送られてきて困ると記事にしております。
今回もいらないモノが送られてきたんですよ。もちろん無断で。
これ。
鍋。
昔のでかい鍋。
昔のでかい一回も使われていないだろう鍋。
あーー!!!!もう!!!!!!
うち、こういった鍋を使うことがなくて。
おとな2人家族ですし、冷蔵庫もありませんから、毎回少量しか食事を作りません(私が作り置き苦手なのもある)
深型のフライパンひとつで事足ります。
こんなでかい鍋の登場機会が一切ありません。
柄も趣味じゃない。
うちに置いておいても使い道がありませんから、この鍋を売るか譲るか捨てるかして処分しなくてはなりません。
小さいモノならまだしも、こんな大きなサイズになると処分にも手間がかかります。
もちろん、処分するまでの仮置きにも場所を使います。
何でいらないものに手間と時間とスペースを取られなくてはいけないんだろう・・・
物置の中には、送られてきた母のお下がりの服も仮置きされています。
売れるような代物でもないですからすぐに処分したいのですけど、コロナの関係で、大阪市は現在服を捨てることができません。
なぜうちのモノじゃないモノを保管しなくてはならないのだろう・・・
全くいらないモノが家にあること、自分で処分しないといけないこと、自分の意思とは関係なく家の中に入ってくること、それらを考えると気分が鬱々としてきます。
母からの仕送りというと、いつまでもあるもんじゃないから我慢しなよ、ありがたくもらっておきなよとか何とか言われるんですよね。
ごもっともですけど、そのせいで娘の生活や精神がボロボロになったら意味なくないですか?
それでも自分でも心のどこかで、「母親からの仕送りを蔑ろにするなんて非道あだ」思う部分があるもんだから、処分の際に罪悪感が芽生えてきます。
本来なら感じなくてもいい罪悪感をなぜ感じなくてはならんのか・・・
そのせいでさらに鬱々とした気持ちになる悪循環に陥っています。
最後に
母には「もうモノは送ってくるな!」と何度も言っていますが、何も効果がありません。
今まで通り着々とモノが送られてきています(妹も加担しているから余計にタチが悪い)
向こうは私の生活レベルが上がるだろうという親切心ともったいない心で送ってきていますから、あくまで親切だと思ってるんですよね。
だから文句を言っても、こっちが悪いことになっちゃう。
無駄に買ったモノでも、誰かに譲ったら浪費がチャラになると思っているのかも。
ならねえよ。
浪費は浪費だよ。そうやって人に責任を押し付けてるから、また同じように浪費するんだよ。
これからも同じことがずっと続くのかと思うと、若干ノイローゼ気味になってきました。
愚痴ばっかりですみません。
一体、どうやって説得すればいいんだろ。もう検討もつきません。
正直なところ、送られてきたモノたちを見ていると吐き気がこみ上げてくるし、ちょっと死にたい気持ちになってきます。あーあ。
家で出た処分品は勝手に押し付けずに、相手に聞いてから渡す。
道徳の教科書に書いておいてほしいわ・・・
今日もここまでお読みいただいてありがとうございました。
それではまた明日。