どうも、片岡カタカナです。
いかがお過ごしでしょうか。
水曜日は芸能世界の考察。
木下優樹菜に思う「私らしく」の危険性。
「私らしく」に逆襲された木下優樹菜
本日はさくっと。
木下優樹菜が復帰コメントを出したすぐ後にやっぱり引退する宣言をしたって話。
個人的には活動でも引退でもどちらでもいいのですけど、一つ気になったことがありまして。
復帰する際のコメントにあった「私らしく進みます」的なことに引っかかってる人が意外といるなと思ったんですよ。
もちろんアンチコメントで「私らしくしたから、こうなったんだろ」「私らしく恫喝するの?」とか。
私らしく=反省してないと解釈されていました。
これ見てへーーーと思ったんですよ。
木下優樹菜が「私らしく」に逆襲されているなと。
一瞬で賛から否に変わった「私らしさ」
木下優樹菜って、ヘキサゴンでブレイクした頃からここまで、ずっと「私らしく」で支持されてきたイメージがあります。
おバカでも、元ヤンでも、優樹菜らしく生きる。
出産後は特に顕著じゃないですか。
好きなママタレ1位に選ばれたのも、ママになっても優樹菜は優樹菜らしく生きるからねっ!っつースタイルが支持されたからだと思うんですわ。
それがここにきて、私らしくいることで非難を浴びています。
「私らしく」で支持されてきた人が、「私らしく」で非難されている。
もうね、純粋にこわーーーーー!!!と思いました。
本当にあった怖い話も真っ青(これも本当にあった話なんだけど)
私は鶏皮理論と呼んでいるのですが、支持される理由がそのまま不支持の理由になる現象があって。
鶏皮の油っぽさがたまらなく好きって人もいれば、油っぽさがたまらなく嫌いって人もいるじゃないですか。どっちが悪いわけでもなく、好みでしかないんですけどね。
この鶏皮理論、今回の木下優樹菜ががっちり符号していると思いません?
「私らしさ」というプラスの意味だったモノが、一瞬にしてマイナスの意味しか持たなくなりました。この鮮やかな展開にちょっとひやっとするというか。
叩いている人の多くは元々のアンチでしょうけど、一部は以前に木下優樹菜の私らしさを支持していた人たちだと思うんですよ。
掌を返したなんて事じゃないでしょうけど、賛否の賛があっという間に180度ひっくり返って否になっちゃうことを考えると空恐ろしいと感じますし、いつ自分に似たような頃が起こってもおかしくないなと思わず考えてしまいますね。
最後に
誰だって自分らしく生きたいし、もちろんカタカナだって私らしく生きていきたいし、できれば私らしい私を世間に受け入れてもらいたいものです。
とはいえ、今回の木下優樹菜の件を見ていると、私らしさって実は取扱注意の諸刃の剣なのかもなと思わずにいられません。
使いこなせれば無敵だけど、使い所を間違えると身を滅ぼす。
そういえば、ミスチルも「いつの間に築いてた自分らしさの檻の中で〜」って歌ってたもんな。
このご時勢、私らしさは容量用法を守ってといったところでしょうか。
今日もここまでお読みいただいてありがとうございました。
それではまた明日。