どうも、カタカナことカタオカカナです。
いかがお過ごしでしょうか。
水曜日は芸能世界の考察。
「M -愛すべき人がいて」について考えます。
ドラマ・M、大爆発
いま、巷の話題をかっさらっているドラマといえば、「M -愛すべき人がいてー」である。
多くの人にとって驚きだったのではないだろうか。
コロナウィルスの影響で3話までの放送でストップしているが、放送日のツイッターでは「この状態で止められるなんて耐えられない」など、タイムラインが阿鼻叫喚の図となった。
とりわけ、「ゆるさなーーーーーーーーーーい」をはじめとする、田中みなみの怪演が話題である。
あゆ、あんなだったか問題
現在は田中みなみに全部持っていかれてるMであるが、放送初回当時はあゆ役の演技がヘタすぎるとして話題もちきりであった。
リアルあゆファンも「当時はもっと輝いてた」等とフォローを繰り出している。
私も当初は「ここまで棒読みの人、久しぶりに見たな・・・」と感慨深く見ていたが、ふと思い至った。
いやいやいや、当時のあゆ、こんな感じだったぞ?
どんなに思い出しても、私の中の浜崎あゆみは常に棒読みで、一人称が「あゆ」で、てをにはを使わずに単語で喋っている。
むしろドラマの中のあゆの方が流暢に話している。
私は元々絶頂期の浜崎あゆみが苦手なのだが、そこから20年経ち、現在は和解している(もちろん一方的な話)
絶頂期は業界の大人に作り上げられた虚構の人感が強く感じられた。
個人の力ではなく、エイベックスの力でトップに行った人感と言ってもいい。
しかし、曲がヒットチャートに並ぶこともなくなり、メディアにでれば劣化と騒がれ、過去の人になった今の浜崎あゆみの方が、ずっと魅力的に見える。
誰にも作られていないリアルな人間性を感じられるからだ。
なので今は何の禍根もない。むしろちょっと好きである。
そんな立場の私から見ると、ドラマの中のあゆのしゃべり方はほぼ当時のままに見えるのだ。
30代以上は思い出してほしい、あの頃、浜崎あゆみに持っていたイメージを。
あゆにリアルを感じたことがあったろうか。
少なくとも、私にとってMの浜崎あゆみは、完璧に「作られていた時のあゆ」を再現している。
うまい下手は関係ない。
ドラマ製作側はとても冷静な目で(悪く言えば冷めた目で)、あのあゆというキャラクターを作ったのだろう。
最後に
「M -愛すべき人がいてー」の盛り上がりを見る限り、世間は20年経った今でも、作り込まれた虚構を生きるあゆの方が好きらしい。リアルなあゆを求めていないようだ。
芸能界はそういうものといえばその通りなのだろうが、やはり悲しい話である。
しかしながら、ドラマの影響で過去曲を購入する人が増えているらしい。
(AKBの柏木由紀も「気持ちが盛り上がって曲を買ってしまった」とラジオで話していた)
このドラマ内容で浜崎に利があるのか疑問であったが、そうでもなかったようだ。
単純に安堵している。
最後に全く関係ない話をさせてほしい。
レコード会社の会議に使われている場所、Dr.Xでカンファレンスしてる場所とそっくりと思うだがどうだろうか。
今にも扉を開けて米倉涼子が入ってきそうでひやひやしてしまった。
テレビ朝日のドラマは同じ場所がしょっちゅう登場するから気が抜けない。
今日もここまでお読みいただいてありがとうございました。
それではまた明日。