どうも、カタカナことカタオカカナです。
いかがお過ごしでしょうか。
火曜日は50音で綴る食べ物の話。
今回は「ぞ」。
「ぞ」のつく食べ物・・・?
今回はこのシリーズ史上最も候補が少ない。
最初に思いついたのは「ゾウの肉」である。
ゾウの肉は堅くてゴムみたいで・・・って鋼の錬金術師の作者紹介のところに書いてあったのが妙に忘れられない。
次に浮かんだのは「雑巾の絞り汁入りお茶」であった。これは
雑巾の絞り汁を嫌いな上司のお茶に入れて飲ますってやつ。
お茶汲みOLが絶滅した今、ある意味幻の飲み物なのかもしれない。
「ぞ」と言えば雑煮のぞ
そんな訳で、ぞは雑煮のぞとしたい。
おもちがおつゆに浮かんだ、お正月の顔のことである。おせちは食べなくても、雑煮だけ食べるという人も多かろう。
と言ったものの、私はあまり雑煮=正月というイメージがない。
正月に食べていなかったのではなく、正月以外でも食べていたからだ。
最高潮に食べてた小学校の頃、間違いなく週1で食べていた。
どうしてだと言われたら、町内に餅屋が2店あったからと答えるしかない。
和菓子屋ではなく、あくまで餅屋である。
店の中に餅つき機があり、いつでもぺったんぺったんしているバリバリの餅屋。
バリバリ餅屋が我が家の三軒隣に一軒、道路を挟んでハス向かいに一軒存在していた。
町内のどこに住んでも1分で切り餅が買えてしまう。
そりゃ、雑煮を食うしかないだろう。
雑煮は祖母の味
そもそも餅環境に恵まれていたカタカナだが、週1で雑煮を食っていた理由は他にもある。
両親が共働きだった我が家において、こどもの面倒を見ていたのは祖母であった。
せっせとご飯を作っては私と妹に食べさせてくれていたが、やはり毎日毎日献立を考えるのは骨が折れる。
そんな中で登場するのが雑煮なのである。
雑煮作るの面倒くさくない?と感じる方もいるだろうが、ここにポイントがある。
私の生まれ故郷・岐阜県大垣市の付近で食べられている雑煮はとてもシンプルなのである。
トップ画像のような華やかな具は一切入っていない。
カツオだし・餅・もち菜と呼ばれる青菜。
たった三つで完成である。
鰹出汁で青菜(もしくは白菜)と餅を煮て、醤油で味を調えて、鰹節を乗せるだけ。
その昔この地方はどれだけ貧しかったのだろう、かわいそうに・・・と思わず創造してしまうくらい質素な内容となっている。
雑煮の雑部分はどこにいってしまったのか。
さて、近所で新鮮な(?)餅が安く手に入る、材料が少ない、調理が簡単、それでいて子どもは大よろこびで食べるのだから、祖母としてはありがたいメニューであったようだ。
そんな訳で、当然のように土曜のお昼はいつも雑煮がでてきた。
私たちは飽きもせず、大いに食べた。
祖母の英才教育のおかげで、雑煮と聞いても正月の風景は浮かんでこない。
ぼろぼろに潰れたランドセルや笑いながら見た吉本新喜劇のテレビ画面、祖母が煮すぎたせいで餅が溶けてどろどろになった鍋の中、そんなとるに足らない景色が目に浮かんでくるのである。
雑煮は祖母の味であると同時に思い出の味、ってやつなのだろう。
最後に
祖母の雑煮で育ったカタカナだが、さすがに今は正月にしか食べない。
意外なことに、あんな素朴な雑煮を大阪出身の夫が気にいってくれている。
ありがたいばかりだ。
ちょっといい話風になっている最後に言うのも何なんだが、毎週のように食った雑煮が今の私の脂肪の土台になっている気がするのだ。いや、確実に。
おかげで現在の私はダイエットに励む始末である。
あの頃、毎回3つ食っていた餅を1つにしておけば、また違った未来があったのかもしれない。
今日もここまでお読みいただいてありがとうございました。
それではまた明日。