やまももにまつわるエトセトラ -食べて書いてまた食べる話45ー

やまもも 火曜日:食べ物の話

どうも、カタカナことカタオカかなです。

いかがお過ごしでしょうか。

カタカナ
カタカナ

火曜日は50音で綴る食べ物の話。

今回は「や」。

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大阪市はやまももの街

大阪市はやまももの街である。

なんて言ってみると、あれ大阪市って食い倒れでしょと思われることでしょうが、実はそこそこやまももの街だったりします。

大阪市のシンボルはいちょうです。そのため、大きな道路沿いには街路樹としてイチョウがずらっと植えられているのですが、同じくやまももも街路樹としてずらっと植えられているんですよ。

だから大阪市はやまももの街。

歩道を真っ赤に染めるやまもも

この植えられたやまもも、毎年季節になるといっぱいいっぱいに実をつけます。

やまもも

それは全然構わないのですけど、やがて熟したやまももはすべて歩道に落ちてしまうのです。

舗装のレンガが真っ赤に染まるくらいに。

ハトやすずめが食べそうなものですけど、いかんせん量が量ですから先方も食べ飽きるらしく、木についた実=歩道に落ちる実といった状態。

自転車で木の下を通り抜けると、ぷちぷち!ぷちぷち!と歩道いっぱいに広がったやまももをタイヤでつぶす振動が伝わってきます。

もったいないないなあ、と高まる罪悪感。

下に落ちたのだからそのまま土に還る・・・と言いのですけど、歩道はレンガなもんだから、いくら待っても土に還りません。

毎年のようにつぶされ、雨に流されていくうちに、残った種がやまももの木の根元にうず高く積まれるようになりました。

都会では土に還ることすら贅沢なことなんだなあと思ってしまいます。

食べられもしないやまもも

じゃあ、せっかく実ってるんだし、みんなで食べようぜ!と思っても、それもままならない。

街路樹になった実を勝手に取ると法律に触れるらしいのです。

でも、地面に落ちた実を拾うのはオッケーらしい。

何それ。

それ以前に、植えてある木がやまももであり、その実は食べられるということすら大阪市民は知らなかったりします。もちろん私も知らなくて。

たくさん落ちている実はなんだろう、もったないなと思って調べてみたところ、やっとやまももの存在を知ったくらい知識がないのでした。

おそらく他の住人もほとんど知識がなく、毎年道路を真っ赤にする風景からも、もしかしてこれ毒なのでは・・・と思ってる可能性すらある。

夫はいまでも絶対に食べちゃダメと言ってくるし(毒の実を街路樹にする訳ないやん)

真っ赤になった歩道を見ながら、せっかくの実りをただただ無駄にするなんてとやっぱり罪悪感がつのります。

それでも食べてみた

せっかく実っているのだからひとつくらい食べてみたい。

食いしん坊だったら絶対に思うところ。

そう思いながらやまももの木を見上げていたら、手のひらにぽんと一粒落ちてきたのです。

びっくりして目をこらすとスズメが枝に止まった揺れで実が落ちた模様。

思わず「ありがとう!」と言っちゃいましたね、すずめにね。向こうも「え?」って感じだと思うけど。

せっかく落としてもらった実ですから、その場でいただいてみました。

 

・・・・味しない。

ん?

やまももって甘酸っぱくておいしいってネットにでてたんだけど。

お酒につけて果実酒にするって見たし。

でも・・・・やっぱり味しない。

 

人が世話したわけでもなく、山で育った訳でもなく、街の街路樹として育ったせいなんでしょうか。

食べるには物足りない味。というかどうにも味がしない。

うーん、土に栄養が足りないのかも。

拾い集めて食べるかっつったら、そこまで苦労して食べなくてもいっかと思うくらいの味。

非常時で食べるものが何にもなかったら食べるかなーと思うくらいの味。

うーむ。

最後に

鳥に食べられる訳でもなく、土に返るでもなく、もちろん人が食べるわけでもなく、ただただ自転車のタイヤにつぶされるためだけの実。

完全に存在意義を見失っています。

大阪市はなぜやまももを街路樹にしたのでしょう。

そもそも大阪市がやまももを選んで植えなければこんなことにならなかっただろうに。
植えたら植えたで植えっぱなしなんだもの。

 

誰のせいでもないけれど、同じように自分のせいでもない。

どこにも行き場がない。

まるで時代に踊らされる自分のようだわ・・・・・

それからというもの、道路に落ちた大量のやまももと自分を重ね合わせてしまい、罪悪感と切なさで胸が痛くなって仕方ないのでした。

カタカナ
カタカナ

今日もここまでお読みいただいてありがとうございました。

それではまた明日。