どうも、カタカナことカタオカカナです。
いかがお過ごしでしょうか。
火曜日は50音で綴る食べ物の話。
今回は「ろ」のつく食べ物。
今回は「ろ」のつく食べ物。
子どものころに憧れた食べ物3つ。
レディボーゲン。
西洋とつく野菜。西洋わさびとか。
そして、ローストチキン。
どれも行ったことのない海外への憧れをかきたてるものでした。
ローストチキンは本当に存在しているのか
30年以上生きてきておりますが、いまだに本物のローストキチンを見たことがありません。
あっちですよ、鶏まるごとの方。
海外映画でクリスマスの食卓にどーんと乗っかって、テカテカして、お父さんが自慢そうに切り分けるあれ。
クリスマスキャロルでミッキーがすんごく小さなのを切り分けていたあれ。
本当に世の中に存在しているのかどうかから疑っています。
映画の中のファンタジーなんじゃないか。
疑う私をよそに、友人S(こけし似)が「娘のクリスマスパーティでローストチキン2回も焼いて疲れたわー」と言い出したではありませんか。
おいおいおいおいどこの海外セレブだよ!と思いましたが、友人Sは確かにセレブ寄りではあるんですよ。
でもみんな「さすがにローストチキンはねえ・・・」と思って、ケンタッキーを買ってきたわけじゃないですか。ツリーを飾って、ケーキを並べることはできても、最後の最後に越えられない西洋の壁だったはず。
しかし、いまや実際に焼いてる人、食卓に並べている人、それを切り分けて食べている人が日本に存在している。
丸鶏が入るくらい大きなオーブンを持っていることも驚きますけど、「クリスマスにローストチキン」は外国への憧れでも、映画の中の話でもありません。一般人が実際に作る料理になったのです。
私の子ども時代からたった30年、日本は本当に西洋的になったなあ。
ローストキチンに感じる羞恥心
それはそうと、ローストチキンを見るとなぜか恥ずかしい気分になるのは私だけでしょうか。
なんだか丸裸感があるというか。
あられもない姿というか。
あの寝転がらされている感、効果音は「いやーん」しか聞こえてこない。
もも部分ががむちむちしてて、妙に人間ぽいし。
本や映像で見るだけでもそう思うのに、実際に見たら「早く!早くこのチキンに毛布をかけてあげて!服を持ってきて!」と叫んでしまいそう。
あの丸出し感も日本ぽくないというか、西洋的だなと感じるひとつです。
しかもローストチキンって、鶏をそのまま焼いているわけではなく、おなかの中に野菜やら何やらを思いっきり詰め込んだ上でこんがり焼いているのです。
おなかを包丁で切って詰め込むんじゃない。
おしりからぐいぐい入れられるの。
まじかよ。
料理番組で詰め込む場面を何度か見たことがありますが、ほんとにもう羞恥しか感じません。
先生もよくそんな笑顔でおしりからモノ(モノっていうな)を突っ込めるなと思いますし、突っ込まれている鶏の気持ちを思うと、公衆の面前でこんな状況になるなんて辱め以外のなにものでもなかろう・・・・と同情してしまいます。
自分だったらこんなことされるの絶対やだもん。
しかも鶏の羞恥はこれで終わらず、おしりから野菜を突っ込まれた上に、両足をタコ糸できつく縛られるんですよ。そして熱々のオーブンでこんがり焼かれる・・・・
どんな仕打ちだよ!!!
この鶏が生きているとき、何をしたというのでしょうか。
養鶏場に生まれ、与えられたえさを食べて、悪いこともせず、時々外を走り回る夢を見て、毎日をただ素直に過ごしていただけじゃありませんか。
それなのにこの仕打ち。ひどい。
私には調理から食卓に置かれた状態まで全てが見せしめに見えて、どうしてもお祝いの気持ちが湧いてきません・・・・。西洋にはほど遠い。
最後に
海外のクリスマスなんていう特別中の特別な日に食べるものですから、ローストチキンは間違いなくごちそう中のごちそうなのでしょう。
レシピを見ていてもまずくなる要素は一つもないし、きっと大変おいしいに違いない。
今は見る度に恥ずかしい気持ちになる私ですが、一度食べたら気持ちが変わるかもしれません。
鶏への羞恥に見えた行程も全部、よだれがでる作業になるのかも。
鶏よ、寝返ったらごめんね。その時はおいしくいただくから許してね。
今日もここまでお読みいただいてありがとうございました。
それではまた明日。