西野カナはいつだってあなたに話しかける 

西野カナはあなたに話しかける 水曜日:芸能世界の考察

どうもカタカナです。

いかがおすごしでしょうか。

 

カタカナ
カタカナ

水曜日は芸能世界の考察。

今回は西野カナの歌詞について考えます!

唐突ですけど、2018年9月12日に発売された西野カナ34枚目のシングル「Bedside Story」はもうお聞きになりましたでしょうか?

私はもう聴いた瞬間にぶっとびましたよ、まさかカタカナの持論にこんな強力な援軍がやってくるなんて!

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西野カナの共感性の高さについて考える

西野カナといえば会いたくて震え出してから今日まで、若い女性に支持され続けるアーティストです。

西野カナ 『Bedtime Story』MV(Short Ver.)

支持される理由は共感性の高さ、だそうな。

曲を聞いた人が「あ~、それすごくよく分かるなあ~」って感じる頻度が高いってことですけど、私、何となーく理由がわかったんですよ。

この人の曲、いっっっっっっつも誰かに話しかけてるんすよ

 

シングル曲前提で話を進めますと、とにかく歌詞に話し言葉が多いんですよね。

分かりやすいところだと、会いたくて震えてるときも元彼に「どこにいるの?なにしてるの?」

もちろん、他アーティストの歌詞にも話し言葉は使われますが、隠し味程度のもの。

しかし、彼女は今まで隠し味だったものを前面に押し出し続けました。

これは歌詞界のコロンブスの卵的発想とさえいえるでしょう。

 

一方、話し言葉はよくも悪くも意味が分かりやすいものです。

聞き手があれこれ想像する余地がありません。

熟考された内容に決まっているのに、異常な分かりやすさから「この歌詞、真剣に考えて作ったんかな・・・?」とさえ思わせます。

このあたりが、マツコ・デラックスの’西野カナの歌詞はなんの深みもない’発言を誘引した原因のひとつかもしれません。

 

歌詞の世界を振り返ってみよう

ここで一度、シングル曲の内容をざっと見てみましょう。
(彼氏 × 状況:シングル名を表記しています)

 

彼氏 × 出会う前 :もしも運命の人がいるのなら

彼氏 × 好きになった頃 :Distance

彼氏 × ライバル登場 :Esperanza

彼氏 × 付き合いだした頃 :トリセツ

彼氏 × 自分の部屋か彼氏の部屋 :Darilng

彼氏 × 付き合ってしばらくした頃 :あなたの好きなところ

彼氏 × 別れたあと :会いたくて会いたくて

上記それぞれの状況で、主人公と彼氏の会話(もしくは主人公の一人語り)が歌詞になっています。

 

さらに、西野カナの語りかけは彼氏に留まりません。

時には君って君って泣いたりしないんだねと友人にささやき、

あまつさえ、たまにはパッとはじけたいよね~とか、偉いぞ私負けるな焦るなくじけるなと自分自身に話しかけている。

 

つまり、西野カナの歌詞は

自分(主人公)×○○(人間)×△△(場面)の会話 で構成されているのです。

人間同士の会話をずっと提示されていけば、いずれ1つくらい自分も体験した話が出てくるはず。

あー!それ、あるある!!=共感性が高まる、のは当然の結果です。

会話によって日常を切り取って歌う。

西野カナはアーティスト界のあるある探検隊と言えるかもしれません。(違う)

 

さらに話し言葉ゆえに「曲の主人公=アーティスト本人である」と感じさせる感覚が強いので、私たちは西野カナ本人と会話している気分になります。

いつどのような場所・シチュエーションであっても、彼女は私たちのそばに寄り添い、常に話しかけてくるのです。

 

改めてBedsaide Storyを考える

ここで始めの話題に戻ります。

Bedsid Story です。

なにがすごいってまさかの童話調。

話しかけるどころか語り聞かせの域に到達しているのです。

長年、カタカナが考えていた「この人めっちゃ話しかけてくる」論。

ここにきて、本人の手により一段階上の状態で証明されることになりました(おおげさ)

 

2015年に発表されたトリセツは、自分の取り扱い方について一方的に話し続けるという実際に自分がやられたらちょっとぞっとする状況の歌詞。

西野カナの歌詞の中でも話しかけ度トップクラスです。

でも主人公は彼氏とのコミュニケーションの一端として話しかけていたから、こちらからも話しかけて意思疎通できる可能性がありました(けっこう難しそうだったけど)

しかし、Bedside Storyにきて完全に世界が閉じてしまいました

こちらからのコミュニケーションができないのです。

 

前述のトリセツの頃から、彼女の歌詞から第三者や世界が消えだしました。

はじめは自分とあなたと世界の三者だったものが、いつからか自分とあなただけに。

そしてあなたすら消えて自分以外の存在がいなくなり、ついに会話さえなくなりました。

 

大体の人にとって、いちばん共感できる人は自分。

みんな自分本位です。

主人公がひとりで語りかける歌詞は、聞き手の自分と重なってより高い共感性を得るのかもしれません。

それは逆に、今まで支持を得てきた「日常のあるある会話」を放棄しすることにつながります。

ここから彼女の世界がどうなっていくのか楽しみなところですね。

 

伊勢神宮にまさかの西野カナ

全然関係ないのですが、伊勢神宮にはおはらい町という門前町があります。

まっすぐ歩いていくと、右手に赤福本店が見え、さらにそのまま歩くと返馬餅のお店。

このあたりから少しずつお店が減って急にあたりが静かになっていきます。

 

おはらい町の終わりが見えたころ、突如、静寂を破る西野カナの声。

何事かとあたりを見れば、爆音で曲をかけ続けているお店があるのです。

西野カナは三重県出身だからでしょう。

 

伊勢神宮で清らかになった心に西野カナの洗礼。

全く悪いことではありません。

むしろ観光客相手のお店として当然の行為です。

私はいつもこれを「これから自分が生きる俗世に戻る儀式」としてありがたく受け入れています。

これからも頑張ろうねと話しかけてくる西野カナに共感しているのかもしれませんね。

そう思うとなかなか味わい深いですので、伊勢神宮に行かれた際はどうぞお試しください。

 

本日もここまでお読みいただいてありがとうございました。

ではまた明日。