どうも、カタカナことカタオカカナです。
いかがお過ごしでしょうか。
土曜日は雑多な話。
岐阜県民の憂いを聞いてほしい・その3。
日本有数の目立たない県・岐阜県について勝手に書く第3回目。
第1回~4回はこちらからどうぞ。
だまされやすい県、岐阜。
岐阜県民の憂いをただ書き連ねるこのシリーズがまさかの第5回となりました。
憂いが多いわ。
今回はだまされやすい岐阜県の話です。
数年前、首都移転が話題になったことを覚えていらっしゃるでしょうか。
私も記憶があいまいだったので検索してみたのですが、話題になったのはおそらく平成14年辺りのようです。
ざっくり言いますと、東京に国家的重要機能と人口が集まりすぎているから、別の場所に首都機能を移動してみたらどうかって話ですね。国会や裁判所・省庁を地方に移そうと。
結果は・・・と言いますと、まあご存知の通り、首都機能は東京集中のままとなっております。(文化庁だけ京都に移転しています)
この話が世間で話題になった時、そして今でさえも、ほとんどの人が「そんなこと実現するわけねーだろ」と思ったことでしょう。もちろん私も。
そんな中でいくつかの都道府県が首都誘致に乗り出しまして。
そうなんすよ、岐阜県もやる気だしちゃったんですよね・・・・
その頃、私はすでに大阪暮らしを開始しておりました。
地下鉄・御堂筋線(大阪市の主要鉄道)の梅田駅に、どーんと岐阜県のポスターが貼られまして。わたしゃ何が起こったのかと思ったわ。
その頃はね、岐阜県以外にもその気になってしまった複数県のポスターが貼られてたんですよ。
多分4~5県くらい。
少しずつ首都移転の話題が薄れていくと共に、一県また一県とポスターが剥がされていきました。
そして、最後まで残ったのが我が岐阜県でございました。
そこから1年くらい単独で貼られてた。
残ったポスターを見てる私の気持ちを想像していただきたいのですけど、ほんとまじで勘弁してくれ以外ありません。
無理やって!!
早く現実みろっつーの!!!
と、梅田の中心で叫ぶ毎日を過ごしました(心の中でね)
ひとりで針のむしろに座ってるみたいな気分でしたもん。
別に名乗りを上げるくらいならいいやーんって思うかもしれないですけど、クラスの陰キャの子が急に文化祭のステージでラップやりますって立候補してきたらびっくりするじゃないですか。
悪くはない、悪くはないですよ。
でもこっちは急にどうしたんこいつってなりますやん?
知名度の無い岐阜県が急に「首都機能を岐阜へ!」って言い出したら、周囲はおいおいいったん落ち着けよってなるもんですよ。
文化庁を京都にするのは納得がいくじゃないですか、何百年と実績重ねてきてるし。
そこに来て突然の岐阜。
漫画だったら、ステージに立った陰キャの子がすんごいかっこいいステージを見せて学校の人気者になったりするんでしょうけど、現実世界でやったらほとんどの生徒ポカーンでヘンな空気になって終了ですわ。
クラスメイトとのカラオケでラップ歌っただけでも微妙な空気になるっつーのに、それを学校単位でやったら「え?なにこれ?」ってなるでしょ、それが岐阜県の首都移転立候補です。
立候補した理由
それにね、岐阜県が立候補した主な理由ってのが、
日本の真ん中だから。らしい。噂ですけど。
いやいやいやいやいや、何それ。もっと数字的な説明はないんかい。
小学生でももうちょっと理由付けするわ。
嘘みたいな話ですけど、岐阜県は昔っから日本の真ん中だってことをやたら主張してるんですよ。
日本まん真ん中センターっつーセンスのかけらも無い建物があるくらい。
しかもね、土地的に真ん中ということではなく、日本の人口重心が真ん中ってことなんですよ。
https://www.soumu.go.jp/main_content/000384149.pdf
なにそのふわふわした根拠。何年かしたら絶対に移動するやん。
どうなってんの岐阜県怖すぎるんやけどと思っていたら、ホームページに首都移転Q&Aがありました。
さすがに日本の真ん中だからとは書いてないのですけど、なかなか香ばしい一文を見つけました。
日本の歴史を振り返ると、794年平安京、1192年鎌倉幕府、1603年江戸幕府と、時代の転換期には、政治の中心を移転して人心の一新を図り、国政の改革を行ってきました。
おおう・・・・これはまた・・・・
選挙で国政改革をするのが近代民主主義国家ではないかと思うんですけど、どうなんでしょう。
もしかしたら、岐阜はまだ鎖国してるのかもしれません。ありうる。
それはさておき、ページを一読しての感想としては、
これ、岐阜県じゃなくてよくね?ですね。
北海道でも沖縄でも高知でも佐賀でも埼玉でも、全部当てはまるよねこれ。
県民向けに簡単に書いているだけかもしれんけど。
これ読んで、岐阜は首都機能移転先にぴったりだ!と思う人いないだろ。
でもね、岐阜県のお偉方が特に考えずに「よし!岐阜を首都にしようぜ!」って言い出して、現場の皆さんが勘弁してくれと思いながらも頑張って仕事した成果だなって想像は付くんですよ。
お偉方もおじいちゃんばかりだから、国が言ってることだし、本当に首都移転するんだ岐阜にもワンチャンあると思い込んじゃったんだろうし。
そう思うと責めるに責められない。誰も悪くない。
何ていうかこのシチュエーション、雑誌の広告にある「買ったら幸せになるペンダント」とか「札束風呂に入れるアイテム」を信じて買ってる人感があるんですよね。
人がいいというか。気楽というか。擦れてないというか。
みんなが眉唾だと思ってるものを本気にして巨額を投じちゃうっていうね。
岐阜以外でうっかり買っちゃった人もね、次第に効果を疑って離れていったわけですよ。
それなのに、岐阜県だけはまだ信じているっぽいんですよね・・・
いつか本当に首都移転というお願いが叶うと思ってるように見える。何となくだけど。
信じるものは救われるというけれど、信じる先は慎重に選ばないといかんってことよ。
いいか、岐阜県よ。
首都移転はされん。
万が一、移転されるとしても、その先はお前じゃない。
地に足をつけろ、冷静になれ、周囲を見ろ、自分がやるべきことを考え直せ。
まずは今いる住民の幸せを充実させろ。
最後に
5週に渡って岐阜県民の憂いを書いてきました。
とはいえ、別に岐阜のことが嫌いなんてことはありません。
そろそろ岐阜のいいとこも書く・・・かもしれない。
今日もここまでお読みいただいてありがとうございました。
それではまた明日。