どうも、非効率系ミニマリストのカタカナです。
いかがお過ごしでしょうか。
土曜日は雑多な話。
ミネストローネばかり作る土曜日。
ミネストローネを作る夏
夏に入ってから、毎週ミネストローネを作っている。
ミネストローネと言ってもセロリもパスタも入っていないから、どちらかというとトマトスープというべきだろうか。
土曜日の夕食にせっせとこしらえる。
きっかけはドラマの「昨日なに食べた?」。
シロさんが作っていたミネストローネがあまりにおいしそうで見様見真似で作ってみたら、やっぱりとてもおいしくて、それから隙あらば作っているのである。
ドラマと違い、私は入れる具も適当で、たまねぎ、にんにく、大豆の水煮、トマト以外はその日家にある野菜を入れている。
ジャガイモが入る日もあればシメジが入る時もある。
意外とおいしいのがレンコンで、しゃきしゃきした歯ごたえが楽しいスープになるのだ。
お肉も鶏だったり豚だったり。
個人的に鶏の方があっさり仕上がって夏向きだと思っている。
ミネストローネの作り方
ドラマのレシピだからって、ちっとも特別な作り方ではない。
肉を炒めて、ざく切りした野菜も炒めて、水を入れて煮るだけだ。
ポイントがあるとしたらひとつだけ。フタの使い方である。
野菜を入れて、全体に油が回ったらフタをする。
それだけで蒸された野菜から水分がどんどん出る。
次の野菜を入れようとフタをあける度に驚くくらいだ。
フタの内側にも水がたっぷりつく。
この行程を繰り返すと。水を入れなくても自然とスープっぽくなってくる。
最後に入れたトマトの形がなくなったら、水を好みの量入れて、塩で味を調えて完成。
コンソメを入れた場合と比べて、尖ったところのない丸い味になる。
単純な例えだけど、都会育ちと田舎育ちの違いって感じだろうか。
もちろん私は田舎が好きだ。
はまっている理由
何回も作る理由は「簡単でおいしいから」が大きいけれど、それ以外の理由もある。
野菜をひたすらにざく切りする。
野菜をひたすらに炒める。
この単純作業が実に心地いいのだ。
ただただ手を動かす。
この時、頭はからっぽ。何も考えていない。
野菜を切る感覚だけがある。
それぞれの野菜の状態を感じる。硬い柔らかい。
炒めた音を聞く。じゅー。
においをかぐ。香ばしい、あまい、あれ焦げそう?
時折、料理とは関係ない何かの記憶が頭の中を通り過ぎることがあるけれど、捕まえることはしない。
流れに任せている。
そうしてスープが出来上がると、頭が穏やかになってすっきりして満ち足りた気持ちになっている。いい気持ちだ。
簡単でおいしくて心地いい。だから毎週作ってしまう。
動く瞑想
この穏やかなすっきり感、他でも味わった事があるなと思っていたのだけど、ふと思い出した。
あれだ、瞑想だ。
めちゃめちゃうまく行った時の瞑想みたい。
余計な考えが浮かばなくなって、今ここにいるという感覚が研ぎ澄まされたあの感じ。
おお、ミネストローネつくりは瞑想だったのか。
動く瞑想。
おいしい瞑想。
通常の瞑想だとあっという間に寝てしまう私にはちょうどいい。
瞑想の果てに完成したミネストローネ、夫はおいしいと言って食べる。
私もおいしいおいしいと言って食べる。お代わりだってする。
四方八方全部良し。
だから私は今日もミネストローネを作ろうと思う。
もしかしたら、世界中の台所のスープも少しだけ瞑想の味がするのかもしれない。
今日もここまでお読みいただいてありがとうございました。
それではまた明日。