どうも、カタカナことカタオカカナです。
いかがお過ごしでしょうか。
土曜日は雑多な話。
先週に引き続き、岐阜県の話です。
さて問題です
勝手にシリーズ化しております「日本一説明しづらい県・岐阜県」、今回は第2回。
前回のお話はこちらからどうぞ。
それはさておき、これを読んで下さっているあなた、ぎふって漢字で書けるかい?
上の文を見るのなし!!
あなたの記憶にある「ぎふ」とパッションを見せてほしい。
・・・
・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
タイムアーーーーーップ!!さて気になる(はず)正解は、
岐阜でした。
いかがだったろうか。
「ぎ」が書けなかった人、「ふ」が書けなかった人、「ぎふ」まるごと書けなかった人、大丈夫です、岐阜県民はそんなこと許容範囲である。
というか、岐阜県民自体が「私、岐阜に生まれてなかったら岐阜って書けなかっただろうな~」って思っているから、他の県の方が書けなくても何も思わない。
岐阜、漢字で書けない問題
改めて見てほしい、岐阜を。
岐阜
いやいやいやいやいや、二文字とも超マイナーってどういうことだ。
せめてどっちかはメジャーであれ。
場所すら認知されていないのに、漢字まで難しいとはどういうことなのか。
完全なる二重苦。ここまでの十字架を背負っている県はほかにない。
岐阜と並ぶ、漢字がマイナーでテストで間違える県名界の巨頭・新潟も改めて見てみよう。
新潟
なんということだ、一文字めがメジャーではないか。
Chage&Asuka関係になっている。
もう一度岐阜を見てみよう。
岐阜
Chage&Chageやないかい。
岐阜、漢字マイナーすぎる問題
「岐」も「阜」も普段使いしない漢字である。「岐」ですら、ようやく思いついて岐路くらいなものだ。
一応、私が浅学なだけでもしかしたら色々使い道があるのかもよ?と調べてみた。
「岐」が含まれる言葉
・岐嶷(いこよか)
・岐路(えだみち)
・岐路(キロ)
・多岐(タキ)
・分岐(ブンキ)
・岐(ちまた)
・岐れる(わか-れる)
いこよか。
いこよかって何だ。いこよか。
まあいい、7個もある。
「岐」は分かれたい漢字だってことが分かっただけでも収穫である。
問題は「阜」だ。
今のところ、岐阜以外で使われたところを見たことがない。
「阜」の意味は下記の通りである。
①おか。つちやま。台地。
②大きい。ゆたか。さかんである。
そうなのか。初めて知った。
さあ、お待ちかねの「阜」を使う言葉を紹介しようではないか。
「阜」が含まれる言葉
・殷阜(インプ)
・丘阜(キュウフ)
いや、知らんわ。
知らんから。
いやー、ここまでマイナーとは思わなかった。
こんな「阜」であるが、一応、常用漢字だそうだ。文部省からのドッキリかもしれない。
ちなみに同じ部首を持つ漢字の欄には「阜」とある。
ひとりやん。
結果、ひとりやん。
どんだけ孤高の存在なのか、「阜」。
俺には友達なんて必要ないしっつって格好つけてひとりになってるパターンではなく、ひとりだけノリが変であいつ付き合いづれーよなといつの間にか周囲に人がいなくなってたパターンである。本人は悪くないので、オンラインサロン等で気の合う人を見つけてほしい。
岐阜の由来とは
そもそも岐阜ってどういう意味?って思う頃ではないだろうか、私も同じことを思っている。
ざっくり言うと、始まりは織田信長である。
岐阜県民がドヤれる数少ないポイントであるため、もう一回言わせていただくが、
岐阜の名付け親は織田信長と言われている。
「岐阜」の地名は、稲葉山に居城を移した織田信長が、尾張の政秀寺の禅僧である沢彦宗恩(たくげんそうおん)が進言した「岐山・岐陽・岐阜」の3つのうちから選んだものといわれています。沢彦和尚は、中国の「周の文王、岐山より起り、天下を定む」という故事にならってこれらの地名を考えたといい、天下統一を目指す信長は「岐阜」の名称を選んで、稲葉山城下付近の「井口(いのくち)」を「岐阜」に改めたといいます。(「安土創業録」から)
なお、「岐阜」という地名は、信長が名づける以前から禅僧の間で使われていたとも言われ、その由来には諸説があります。
「岐山・岐陽・岐阜」の3つのうちから選んだ
おい信長、三択 間違ってるぞ。
児玉清だったら、どうしてそのパネルを選んだって言ってくるぞ。
どう考えても岐阜以外の二つではないか。
そりゃ岐山か岐陽かは好みがでるだろう(私は岐陽派だ、キングダムに出てきそうだから)
でもどっちにしろ岐阜ではないはずだ。他二つに比べてマイナーがすぎる。
私が思うに、信長は3つ候補を出されたときに、こう考えたのではないかと思う。
岐山 → ちょっとベタじゃね?ここ山の上だしさ。
岐陽 → いいけど、明るいっていうかポジティブすぎるっつか一周回ってダサくね?
岐阜 → 阜ってなんだ??阜?? わかんね、でも誰もしらねえ漢字使うのかっこよくね?
岐阜の二文字を見て、中2の気持ちがむらむらと戻ってきてしまったのではないだろうか。
きっと紙に岐阜って書いては、家臣に「おい、これかっけーだろ!」って言っていたと推察する。
信長の三択から450年経った。
今、岐阜県民は織田信長を誇りにしながらも、織田信長の中2ゴコロに悩まされるという、ねじれた呪いの中を生きている。
もちろん、信長の「この地が豊かに栄えますように、天下取りの基盤になりますように」という気持ちは伝わらなくもないし、ありがたいと思っている。
もし信長がいなかったら、岐阜のドヤりポイントの8割が消滅するだろう。
とはいえ、やはり三択は間違いだったと言わざるを得ない。
岐山や岐陽を選んでいたら、現在の県民の憂いも多少減っていたかもしれない。
最後に
さてさて、まだ書くことはあるというのに、また私の心の中の紙面が切れてしまった。
続きは次回としよう。
岐阜県民の憂いは続く。
今日もここまでお読みいただいてありがとうございました。
それではまた明日。