どうも、非効率系ミニマリストのカタカナです。
いかがお過ごしでしょうか。
月曜日はミニマリズムの話。
千尋からミニマリストの考え方を学ぼう!
千と千尋の神隠しに隠されたミニマリズム精神に驚く
先日、金曜ロードショーで「千と千尋の神隠し」が放送されました。
久しぶりに始めから最後まで見たのですが、ミニマリストの視点で見てみると改めて考えさせられることが多かったですね。
この物語の主テーマは「何もできない小学生の女の子が自分で生きる力を見につけていく」だと思います。
確かに冒頭の千尋は手足も棒のように細いし、挨拶も出来ないし、まだまだ頼りない女の子です。
見ているこっちも、これから大丈夫か心配になってしまいます。
でも。
千尋が最初っから持っているとび抜けた素晴らしさがあるんですよ。
「欲しくないモノは欲しくない」と断る力です。
欲しくないモノは欲しくない
今回、私がいちばん感心したのは薬湯の札のシーン。
千尋はカオナシのおかげで札を手に入れます。その後、さらにカオナシが大量の札を出して渡そうとしてくるのですが「それ、こんなにいらない」と言って断るのです。
めっちゃすごくないですか!!!!!?????
普通だったらせっかくだしもらっておこうかなと思うもんですよ。特に千尋みたいにいびられる対象だったらこれからのためにも絶対にもらうはず。
でも千尋は「それ、そんなにいらない」って言うの!すごいよ!
必要な量は手に入れたから、それ以上は必要ないと判断する。
「これミニマリズムやん!」とびっくりしてしまいました。
十分手に入れたから欲しがらないって、始めから全部を断るよりもずっとずっと難しいことだと思いませんか?
いやー、すごいわ千尋。
さらに終盤にカオナシに砂金を出されても断るじゃないですか。
「私の欲しいモノはあなたには絶対に出せない」と言って。
とりあえず砂金をもらっておいて適当にやりすごすこともできたはずですよ。多くの人がそうするでしょう。
でも千尋は断りました。
自分にとって重要なものが何なのか理解した上で、その他はいらないと判断した訳です。
うはー、すごいぞ。
これ、ミニマリストの考え方やん。
欲しがる大人とカオナシ
千と千尋の神隠しには「欲しがる大人、断る千尋」の図式があります。
食べ過ぎて豚になったお父さんお母さん。
お店の人が来たらお金を払えばいい、カードも持ってるし!というのは、よくよく考えるととても貪欲で傲慢な態度に思えます。
砂金を欲しがる店子たち。
我も我もと押し寄せて、カオナシが暴れだしてやっと我に返ります。
うっかり食べられちゃった人(?)もいるし・・・
魔女の契約印を欲しがる湯婆婆。
欲しいモノに目がくらんで、大事な大事な坊がいなくなっても気がつきません。
少しうがった見方ですが、途中登場する汚れきった川の神様もエピソードも「欲しがる大人」が生んだ結果ではないでしょうか。
神様の中には自転車を始め、たくさんのゴミが入っていました。
あのゴミを捨てたのは日本に住んでいる人間の大人、すなわち私たちです。便利を欲しがった結果、意識的に環境を破壊し続けています。
この「欲しがる心」の隙間に入ってくるのがカオナシです。
居場所を求めて「もっと欲しがれもっと欲しがれ」と焚きつけてきます。
大人とカオナシと消費社会
大人とカオナシの関係性、今の消費社会そのままのように感じます。
「欲しがれ、もっと欲しがれ、消費してもっともっと欲しがれ」とあの手この手で売りつけてくる広告。
「ほしい、もっと欲しい、もっともっと消費したい」とモノを買う大人。本当に欲しいモノだったのか振り返ることもしません。
次から次に流行が生み出され、消費され、終わって、また次の流行が生み出され・・・・
売っても売っても、買っても買っても、まだ欲しい。
どちらの飢えにも終わりがないのです。
これからの世界、必要とされるのは千尋と同じ力ではないかと思うのです。
「欲しくないものは欲しくない」。
自分にとって本当に大切なものを理解する力です。
このままだといずれ、膨れ上がったカオナシに飲み込まれてしまいますーーーー・・・・・
みんな心の中に「大人」と「千尋」がいる
じゃあ、どうすればいいの?と思った方、カタカナからひとつ提案があります。
何かを買うときに「これは本当に自分に必要なもの?」と心の中で問いかけるのです。
自信をもって必要と思えなければ、一度立ち止まって欲しいと思ったのか理由を探ってみてください。
案外「安かったから」「なんとなく」だったりします。
そして、もう一度「これは本当に自分に必要なもの?」と心の中で問いかけてみてください。
それでも必要だ欲しいと思ったなら、堂々と買えばいいのです。
いらないかもしれない、もしそう思ったなら「欲しくないモノは欲しくないんだ」と気持ちを切り替えていきましょう。
人間みんな心の中に「大人」と「千尋」がいます。
2者のバランスを取っていけば、「カオナシ」も暴走せずに居場所を見つけることができるはず。
(もちろん自戒を込めて)
心の中の千尋も映画と同じように強くなっていくことでしょう。
次回、千と千尋をご覧になる際はミニマリズム的視点で見てみると、また新しい発見があるかもしれませんよ。
今日もここまでお読みいただいてありがとうございました。
それではまた明日。