どうも、非効率系ミニマリストのカタカナです。
いかがお過ごしでしょうか。
月曜はミニマリズムの話。
あの・・・実は、皆さんにお話したいことがありまして・・・
カタカナからのご報告
2018年も終わりでございますね。
ここでひとつみなさんにご報告兼お詫び的なものをさせていただきたいと思います。
カタカナ、シャンプーをする生活に戻りました。
ミニマリストの洗髪問題
多くのミニマリストが通る道があります。
お風呂場の備品、特にシャンプーボトルをどうするか、です。
【私の場合】
→入浴後、ボトル関係はすべて洗面所の収納に入れる。
ボトルの底に湯垢がつかないし、掃除がしやすい。
→石鹸なら全身に使えるため、シャンプーとボディーソープを手放せる。
クエン酸やお酢を水で薄めればコンディショナー代わりになる。
→文字通り、お湯だけで髪を洗うこと。
必要なのは顔・体を洗う石鹸のみ。
2年ほど前に最終段階にたどり着きました。
湯シャンを始めると、もう楽で楽で!
- ボトルがなくなる
- シャンプーを買いにいく手間がない。
- 泡が飛ばないから、お風呂掃除が楽。
さらに、シャンプーとコンディショナーが同時に切れるように調整しつつ使う気遣いも不要になります。
有名どころのミニマリストも実践されている方が多く、湯シャンになったことで「ミニマリストとして進化した!」とほくそ笑んでおりました。
もちろんデメリットもあります。
- 約36度のお湯で髪を流すので、冬場は寒い。
- 髪のツヤがなくなったり、まとまりにくくなる(これは個人差がある)
でも2年やってみて、いちばん大きな大きなデメリットに気づきました。
それは「女性としての自尊心が少し失われる」こと。
洗い流された自尊心問題
私は「いつもおしゃれして綺麗な女性でいたい欲」が、世間一般よりずっと低い人間です。
POPEYE読んでるシティボーイよりツーブロックだし、化粧の基本・ファンデーションすら手放しています。
押し付けられた女性らしさよりも、人間としてしっかりやってきたい。
それに人目を気にしていたらミニマリストなんてやっていけないぞ!
と思っていたんですね。
それがです。
湯シャンを適当に済ませてしまった翌日は「頭皮がにおってないかな?」と心配になるのです。
そんな時、いい香りのする女性とすれ違うと 「あの人はあんなにいい香りがするのに私ときたら・・・」と落ち込んでしまいます。
それに太い・多い・癖毛の私にとって、髪は強烈なコンプレックスのひとつ。
湯シャンによってツヤを失っていく髪を見ては、心の中でため息をついていました。
女性らしく綺麗でいたい気持ちは消え去ったものだと思っていたのに、本当は心の底に残っていたのです。
頭皮の油と共に自尊心も洗い流していた訳ですな、こりゃうまいこと言ったね!(うざい)
シャンプー復活の日
今から半年前、週1でシャンプーを復活させました。
やはりツヤが戻ってくると嬉しいもので、週2シャンプーになるまでにそう時間はかかりませんでした。
そんなある日、ふと気が付いたのです。
週2回のシャンプーを楽しみにしている自分がいることに。
「わーいわーい今日はシャンプーだー髪がつやつやになるぞー」と思っていたのです。
そう、答えはすでにでていました。
私は先週から毎日シャンプーしています。
頭皮の心配から開放されて、三日ぶりにお風呂に入ったときのようなすがすがしい気分です。
シャンプーについてお風呂で例える無謀を冒してしまうくらい開放されています。
この2年間でお会いした方は 「え!あの時、シャンプーしてなかったの・・・?」とひきまくりのことと思います。 石を投げたい方もいらっしゃることでしょう。
申し訳ありません。
知らぬが仏、報告しなければ波風も立たちませんが、それではダメだと判断しました。
私の勝手な気持ちで不愉快な思いをさせてしまうことを謝罪します。
完全に言い訳だけど、勤め先以外の方と会う前夜はシャンプーしてましたよ・・・
ミニマリストの根源を思い出そう
ミニマリスト=湯シャンというイメージにいつの間にかしばられていた私。
それでいて、これまで自分が湯シャンをしていることを公表したことはありませんでした。
結局、心の奥底ではシャンプーしていない自分が恥ずかしかったのです。
「女性としての自尊心」を自分で削り取って、勝手に傷ついて。
自分が楽になるために始めた湯シャンが、逆に自分を追い込んでいました。
「自分にとって必要なものだけを持つ、それがミニマリスト」
その結果、一般と外れてしまい人目を引いてしまうことはあります。
自分の必要や好きのためにミニマリストになるのですから、それは望むところです。
でもミニマリストでいたいがために、ミニマリスト生活をするのはおかしい。
私はすっかり基本概念を忘れて、進化どころか退化してました・・・・恥ずかしい。
シャンプーは私にとって必要なものでした。
買出しなど面倒なことも戻ってくるけれど、 毎日人目を気にして生きるよりいい。
女性としての自尊心も時々可愛がってあげればいい。
数年かかって自分の檻に気づくという壮大な非効率体験でしたが、 これからのミニマリストライフの糧になるはずです、多分。
色々ありましたが、
2019年もミニマリズム道を突き進みたいと思います!
本日もここまでお読みいただいてありがとうございました。
ではまた明日。