どうも、片岡カタカナです。
いかがお過ごしでしょうか。
水曜日は芸能世界の考察。
生けるギョーカイ感・ヒロミ。
ヒロミのセリフに感じた古さ
久しぶりにテレビを見てみたら、また気になる発言に出くわしました。
鬼越トマホーク(大好き)がスッキリに出演した際、最後の最後でうまく行かなかったという話の最後にですね、ヒロミが笑いながら言ったんですよ。
「この前飲みに行った時も言ったんだよね、お前たちに必要なのは可愛げだって」
セリフの細かい言い回しは忘れてしまったのですけど、かなりのモヤモヤを感じたんですよ。
何だろうと考えてみると「この感じ・・・古い」と思ったのでした。
「飲みに行って=仲間」って古くない?
芸能人同士が飲みの際にアドバイスしました、的な話はよくあるもので、特に珍しくはありません。
珍しくはないのだけど、正直古いのよ。
80〜90年代の芸能界って、まさに「誰々と飲みに行ってます」「誰々と遊びに行きました」って話ばっかりだったんですよね。バブルのせいか知らんけど。
それこそ芸能人としての意義がそこにしかない人もいて(故ナンシー関さんが、山田邦子や武田鉄也をこの文脈で批評してる)。
飲みに行く=仲間という定義も古いのだけど、飲みに行ったしオレたち仲間だぜをアピールするのはもっと古いと思うんだよな。
ヒロミ「この前もアドバイスしたんですよ、お前らに足りないのは可愛げだって」
鬼越 「そうなんですよ、この前飲みに連れて行ってもらいまして」
って流れだったら気にならなかったと思うんですよ。
(今のタレントさんの話は大体この流れ)
でもこのヒロミのセリフって、アドバイスしたことじゃなくて、飲みに行ったことがヤマになってる気がするんですよ。
いらん修飾詞じゃないすか、飲みに行ったって。
忘れられた「ギョーカイ感」
この「飲みに行った=仲間=面白い」の流れが一番強かったのが、全盛期のとんねるずだと思うんですよ。
フジテレビ的というか、いわゆる業界感(ギョーカイと書いた方がニュアンス的に正しい)。
とんねるずの飲み仲間=ギョーカイ=面白いという謎の図式です。
もちろんギョーカイにヒロミも入っていました。
一応フォローしておきますと(お前は何様だって話だけど)、とんねるずの持ち込んだギョーカイという世界観は本当に新しかったんですよ。今じゃ考えられないけど。
とはいえ、大流行だったギョーカイ感も、ごっつええかんじやめちゃイケの台頭で、次第に求められなくなっていきました。
ギョーカイが世間に浸透し終わったと同時に、次の世代にバトンタッチした感じ。
これが1990年代終わりの頃です。
そして2020年。
この失われた「ギョーカイ感」を引きずっているのがヒロミだと思うんですよね。
だから飲み仲間を主張しちゃう。
今や死場所を求めるとんねるずに比べるとずっとうまくやっているけれど、どうしても身についたギョーカイ感がぽろっと顔を出してしまうのですね。
その一例が冒頭のセリフで、だから聞いた私は「ヒロミ・・・古いな・・・」と感じたんだろうなと。
最後に
逆に言うと、ヒロミのギョーカイ感を古いと思うのって、90年代のノリを知っている視聴者だけなのかもしれません。
2000年以降に生まれた若い衆は見たことありませんから、新しい笑いに見えるかもしれない。
時代は繰り返すって言うし。
そう考えると、古いのは私なのかも。
でも第七世代を見ていると、ギョーカイ感からはほど遠いもんなあ。
そうなるとやっぱり古いのはヒロミ・・・?
とりあえず、とんねるずはYouTubeでやり切って成仏してほしい。
今日もここまでお読みいただいてありがとうございました。
それではまた明日。