どうも、非効率系ミニマリストのカタカナです。
いかがおすごしでしょうか。
火曜日は加齢報告をお届けします。
やつだ・・・やつがきたんだ!
人生、あきらめが必要な時もある
誰しも毎日頑張って生きています。
あきらめずに努力して試行錯誤して、試練に抗いながら生きています。
でも。時にはあきらめが必要な時もあるのです。
そう・・・・・花粉です。
そろそろやつらの出番です
2月も中旬を迎え、徐々に日差しも温かくなり、わずかですが春の気配を感じる今日この頃。
そろそろね、感じてらっしゃる方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。
私も感じています。
目に。鼻に。皮膚に。
花粉のあんちくちょうの存在を・・・・。
カタカナはまだ軽症ですが、それでも年々症状が重くなってきておりまして。
これも加齢の一種かと思っていたのですが、歳を取るごとに軽くなってきたと話す人もいますし、やはり個人差があるのでしょう。
「絶対に私は花粉症じゃない!」
思い返せば、症状が出始めたのは8年ほど前でした。
その頃はちょっと鼻がかゆいなくらいのもの。
食物アレルギーなども全くないことから「自分は花粉症などになるわけない」を絶対の自負を持ってましたね・・・・
それから年を追うごとに鼻水がでるようになり、くしゃみがでるようになり、目がかゆくなり、皮膚が痛くなり。
さすがの私も「もしや花粉症では・・・・?」
と疑うようになってきました。
しかし。
それっぽくなってきた数年間、私は頑として花粉症だとは認めなかったのでした。
だってほら、ちょっと熱っぽいかも?って時に体温計で熱を測ったとするでしょ?
見てみたら本当に38度あったとしますよ。
それ見ちゃうと「私、本当に熱あるやん!だったらもっとしんどいはず・・・」と思っちゃって、急にしんどくなることありません?
自己暗示みたいなものでしょうか。
熱があると認めたら発熱が確定しちゃうから、わざと熱をはからないようにするという。
私、花粉症でもおなじことしてました。
「いま花粉症と認めたら、花粉症になってしまう」
「花粉症と認めなかったらこれは花粉症じゃない!」とか思いつつ、現実から目を背けて抗っていたのです。
若気の至りというやつですね。
周囲も通ってた「絶対に私は花粉症じゃない!」
それももう過去の話、現在では花粉症を認めている私ですが、友人たちに先ほどの話をすると
「分かる。私もそうしてた」
「自分から言うと花粉症になってしまうから、見てみぬ振りをしていた」
との証言を得たのです。
彼女たちも私同様、うすうす花粉症と気づいていながら認めないようにしていたらしい。
でももっと上の世代、下の世代ではそんな話を聞いたことがありません。
なんでこの世代だけ?と考えてみた結果、ひとつの結論にたどり着きました。
もしかしたら、
安西先生のせいなんじゃないかと。
安西先生の功罪
そうです、スラムダンクの。
漫画史上に残る名シーン「あきらめたら、そこで試合終了だよ」の安西先生です。
スラムダンクを読んだことがない人ですら知っている超有名なセリフ。
いまやセリフだけが一人歩きして、元ネタ知らない人もいるかもしれないですね。
やっぱりね、カタカナをはじめ40歳周辺の人はかなり影響されていると思うんですよ。
思春期からずーーーっと「あきらめたら、そこで試合終了だよ」とともに歩んできましたから。
刷り込まれてると言っても過言ではない。
私は思うのです。
「あきらめたら、そこで試合終了だよ」精神は大人になっても息づいていたんじゃないか。
実は無意識のうちに思っていたんじゃないか、
「花粉症になったとあきらめたら、そこで試合終了だよ」って。
だから、みんな自分が花粉症だと認めずに現実と戦っていたのではないか、と。
花粉症を認めて大人になった
さすがに症状がきつくなってくると試合終了というか、春先の生活が終了って感じになりますから認めざるを得なくなりました。
そんなあきらめが、長い長い思春期を終わらせたのかもしれませんね・・・・。
安西先生・・・
私は鼻が・・・鼻がかみたいです・・・・・
さっさと認めた方が楽になるよ、早く薬を飲んだほうがいいよ、と諭すのは大人のすることなのでしょう。
「花粉症なのに花粉症じゃないと言い張る自分」が
どこか面白かった気もします。
この心境にも中2感を感じますね。
さて、今年の花粉はどうなるのでしょうか。
「試合終了っつーか、人生が終了するわ・・・」的な飛散量にならないことを祈るばかりです。
本日もここまでお読みいただいてありがとうございました。
それではまた明日。