おとつい、道端にいたせみの幼虫を木に登らせた。
会社の帰りに駅から歩く道の途中、きれいで大きいマンションの真下の道にいたのだ。
レンガとレンガの間に幼虫が挟まって、身動きがとれなくなっていた。
せみの幼虫は夜に土から出てくると思っていたから、明るい時間にいることに心底びっくりした。
このままだといずれ力尽きてしまう。
とにかく助けようと思って人差し指を差し出してみた。
あっという間に指につかまってきた幼虫のつめは思いのほか力強くて、痛いくらいだった。
マンションの前にある大きな木の幹に近づけてみると、すぐに私の指から降りてせっせと上に登っていった。
自分が求めていたものに出会ったのか、幼虫のテンションが爆上がりしているように見えた。
思い返せば、私は毎年夏の終わりになると、道の真ん中でひっくりかえってじたばたしているせみを見つけては、指につかまらせて木に戻す活動をしている。
子どもの頃は恐怖心ひとつなく自然にせみに触る事ができていたけど、大人になって都会に住むようになってから気持ち悪くて触れなくなっていた。
数年前から畑仕事するようになって、不思議とまた触れるようになった。
虫や小さな生き物たちが身近になったせいかもしれない。
キャベツについた青虫を手で取っているうちに、指に昆虫をつかまらせることに抵抗がなくなったのだと思う。青虫は小さくてぷにぷにしてとても可愛い。
指にのっけた青虫は古くなったキャベツの葉っぱにのせていく。数匹集まったらそのままゴミ箱へ運ぶのだけど、畑仲間のおばあさんおじいさんからはいつも怒られる。
その場でつぶさないとまた畑に戻ってくるから意味無いよと言われるけど、もごもご健気に動いている青虫を見ていたら、つぶすなんてどうしてもできなかった。
たまたま生まれたときの姿が違うけれど命はみんな平等だと思っている。
ちいさな命、とよく言うけれど、体の大きさや生きている長さが異なっているだけで、命の重さはどの生き物も一緒じゃないか。
せみは偉い。
ずっと土の中で暮らして、ある日突然に知らない世界に出てきて、真っ暗な中で自分が登る場所を見つけて、そこで脱皮する。
カブトムシやクワガタは土の中で脱皮してリスク回避している。
なのに、せみは飛ぶ事もできない体一つで世界に飛び込んでいく。
多くの人はせみをとるに足らない生き物だと思っているだろうけど、実はそんなことはない。誰に守ってもらう事もなく強く生きている。
せみは偉い。
まとめ
遅まきながら、非効率系ミニマリストのカタカナです。
いかがお過ごしでしょうか。
本日はえらく趣向が違うなと思われたそこのあなた、お目が高い!
今回は高柳しいさんのエッセイ講座で書いたエッセイなのです。
講座と言っても机の前に座ってウンウンうなずきながらメモを取るような固い内容ではなく、Zoom(オンライン会議システム)上でやり取りをしながら書き進めていくスタイル。
時にはゲラゲラ笑いながら、時にはめちゃめちゃ褒めてもらいながら、楽しい楽しいと思っているうちにエッセイが完成しておりました。
それが冒頭の「せみは偉い」。
世間に向かって、せみは偉いと思うんですと言っても無視されるか、せいぜい変わった人扱いされるだけだと思って誰にも言ったことはなかったんですよ。
しいさんはこの気持ちに共感してくださっただけでなく、その視点がおもしろいのだと肯定してくれました。だから安心して書き進められたのだと思います。
私はどちらかというと口八丁でぺらぺらぺら喋るタイプです。
話し言葉を書き言葉にスライドさせていくことが苦手で、どうしても内容に乖離が生まれてしまいます。書けば書くほど乖離が大きくなって「違う!これじゃない!!」とのた打ちまわってきたんですよ。
と、偉そうに書いてますけど、しいさんに指摘してもらってやっとこさ気づきました。
でも今回の「せみは偉い」は、起こった出来事、感じたこと、私が日ごろ思っていること、全部全部盛り込めて、何一つ取りこぼしがありません。
そこにはいつも悩まされていたは乖離はなくて。
あったのは「私は全部書ききった!」という気持ちよさ。
乖離の中に自分が本当に書きたかったことがあったんだなあ・・・・としみじみ感じております。
文章を書くことは好きだけど、ちょっと疲れてしまったな。
楽しくなくなってしまったな。
そんな時にしいさんのエッセイ講座がぴったりはまると思います。
ちなみにこの写真は、エッセイの中に登場した幼虫の実物です(ピンボケすみません)
無事に羽化したかな。思う存分、夏を謳歌しておくれ。
今日もここまでお読みいただいてありがとうございました。
それではまた明日。