どうも、カタカナことカタオカカナです。
いかがお過ごしでしょうか。
水曜日は芸能世界の考察。
川谷絵音と太宰治って本当は女だと思う説。
どちらも本当は女なのではないか説
川谷絵音と太宰治って似てる。
曲以上にベッキーやらなんやらで有名なゲスの極み乙女。の川谷と、人間失格などいくつもの名著を記した太宰治。
先端を行くバンドマンと大正を生きた小説家、これだけ書くと全然似てなさそう。
でも私は「どちらも本当は女なのではないか説」を提唱します。
絵音の歌詞はリアル過ぎる
最初にそう思ったのは、絵音がやってるバンド・ジェニーハイを聞いた時。
野生爆弾・くっきー、小薮千豊、現代音楽家の新垣隆、tricot・中嶋イッキュウらと組んでいるバンドで、絵音がプロデューサーとして全曲作詞・作曲しています。
ボーカルが女性だってことで、歌詞も女性目線で書かれてるんですけど、聞いているとですね、私のこと歌ってるんじゃないかと思うくらい親近感のわく歌詞なんですよ。
「グータラ節」だと、機械が壊れる電磁波が自分から出てるんじゃないかとか、豆腐を買い忘れたし色味がよくないけど味はまあまあとか、女友達とサイゼリアでしゃべってるんじゃないかと思うくらいリアルです。
ジェニーハイの曲によく出てくる歌詞に「寝ても寝ても午前中だったらいいのに」「食べても食べても太らなきゃいいのに」もあるんですけど、これ日常を過ごしてて本当によく思うことなんですよね。
この「日常あるある」、拡大縮小なしの女子感がある。
(あくまで「女子」ってところもポイントだろうな)
さらに、「ランデブーに逃避行」では、
宇宙服着てみたい、涙袋とってみたい、草津に住んでみたい、のあとに
ジョブズみたいにならなきゃ、歴史に残らなきゃなのに朝まで寝ちゃった、と続きます。
草津に住みたいなー温泉はいりたーいみたいな小さいノリと、歴史に残らないとなんていう壮大な希望や焦りみたいなことが同一人物の中で矛盾なく同居しているんですね。
はたから見ると大小さまざまでてんでバラバラに見えることも、本人の中では全部同率で1位としてカウントされているあたりがめちゃめちゃリアルというか。
盛ってない女子の日常あるあるといい、欲望の扱い方だとか、その辺りの機微を書ける川谷絵音って、やっぱり本当は女なんじゃないかって疑ってしまいます。
秋元康の歌詞は架空の女子
男性が女性目線で歌詞を書くことは珍しい事ではありません。
いちばんよく聞くのはAKB系でしょう。
10代の女性目線の歌詞を書いているのは秋元康(61歳・男性)です。
絵音と同じように男性が女性目線の歌詞を書いて女性が歌っているけれど、AKBの歌詞を聴いて「ああ、リアルだなあ」「私のこと歌ってるみたい」と感じることは稀有だと思います。
100歩譲って、恋するフォーチューンクッキーくらいじゃないでしょうか。
同様に、演歌も男性が女性目線の歌詞を書く世界ですが、やはりリアルな女性像ではありません。
どっちも作られた女性感というか、様式美というか、フォーマットというか、はっきり言うと「どこにいるんだこんな女」と思ってしまう。完全に架空。
(AKBは男性目線の歌詞を女性に歌わせるというパターンの方が多いけれど、同じように「どこにいるんだこんな男」と思います)
一方、ジェニーハイの中の女性は、きっとどこかにこんな女子が存在しているだろうな、何なら隣に住んでいるかもと受け入れる事ができるんですよ。絵音の作詞能力に驚かされます。
続きは来週に
おっと、まだ半分しか書いていないのに1300字を超えてしまいました。
太宰治についてはまた来週に書くことにいたしましょう。
今日もここまでお読みいただいてありがとうございました。
それではまた明日。